映画「グッバイ・クリストファーロビン」は、名作「くまのプーさん」誕生の裏に隠された、プーさんの作者の息子がたどった悲しい真実を描いたショッキングな実話作品で、日本では劇場未公開ですが 2018年10月3日にDVDが発売予定です。
今回は、この映画のあらすじ・感想に加え、映画では描かれなかったクリストファー・ロビンのその後の人生や、映画と実際に起こった史実で異なっているポイントなども含めて、ネタバレ有りで詳しくご紹介していきます。
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映画「グッバイ・クリストファー・ロビン」のキャスト
映画「グッバイ・クリストファー・ロビン」のキャスト
【監督】 サイモン・カーティス
【脚本】 フランク・コットレル・ボイス、サイモン・ヴォーン
【出演】
A.A.ミルン: ドーナル・グリーソン
A.A.ミルンの妻ダフネ: マーゴット・ロビー
クリストファー・ロビン(子供時代): ウイル・ティルトソン
クリストファー・ロビン(成人期): アレックス・ロウザー
乳母オリーブ: ケリー・マクドナルド
E.H.シェパード: スティーブン・キャンベル・ムーア
2017年作品 映画「グッバイ・クリストファー・ロビン」 原題:Goodby Christopher Robin ★IMDbスコア:7.1 |
映画「グッバイ・クリストファー・ロビン」のあらすじ
「くまのプーさん」の作者A.A.ミルンに子供が生まれるまで
今ではディズニーキャラクターとして、全世界で人気の「くまのプーさん」の作者は、A.A.ミルンで、本名はアラン・アレキサンダー・ミルン。 1882年1月18日にイギリスのロンドンで生まれ、名門ケンブリッジ大学で学び、その後作家になります。
彼はとても内向的な性格で、ニックネームはブルー。
「ブルー」には、「青色」以外に「陰鬱な」という意味も含まれています。A.A.ミルンの目がとてもきれいな青色だった事に加え、彼の性格にも由来したニックネームでした。
A.A.ミルンは、31歳の時にダフネという女性と結婚します。
妻ダフネは、彼とは正反対の社交的で派手な性格だったので、パーティが大好きで、いつも人と一緒に交わっていたいタイプでした。きっと自分とは全く正反対の性格にひかれたにちがいありません。
結婚2年後に、A.A.ミルンは第一次世界大戦に出征する事になりますが、無事4年後にロンドンへ帰還します。
その後、妻ダフネは妊娠し、A.A.ミルンが38歳の時に、息子が誕生。
その男の子は、クリストファー・ロビンと名付けられます。
せっかくかわいい男の子が生まれたというのに、ダフネは、妊娠している時もお腹には「女の子」が宿っていると思い込んでいたので、生まれたのが男の子でがっかりしたのか、元々あまり母性本能がないタイプだったのか、せっかく生まれてきた子供を愛情を持って面倒を見る事もなく、乳母を雇って息子の育児をまかせると、自分はパーティー三昧の生活を続けます。
女の子が欲しかったクリストファー・ロビンの母のダフネは、外見もとてもかわいかった自分の息子に、女の子のような洋服を着せ、髪の毛も男の子としては少し長めにして育てました。
「くまのプーさん」のお話が誕生するまで
A.A.ミルンは、戦争からは無事に帰還できたものの、戦争での後遺症で 「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」 になってしまったので、ちょっとした音を聞くだけで、つらい戦争の記憶が蘇り、仕事ができなくなり、普通の生活を送る事が困難になってきました。
そこで、ロンドンを離れ、家族で静かなサセックスへ引っ越す事になりました。
彼の妻ダフネも家族と一緒に同行しましたが、静かな田舎での生活に耐えられなくなり、すぐに夫と息子を残し、一人でロンドンへ戻ります。
一方、A.A.ミルンとクリストファー・ロビンと乳母オリーブは3人の生活を続けていました。
しばらくして、乳母は自分の母親が病気のため、クリストファー・ロビンのそばにいることができなくなりました。そのため、A.A.ミルンとクリストファー・ロビンの二人っきりの生活が始まりました。
初めて、子供と向き合う生活をする事になったA.A.ミルン。
息子のクリストファー・ロビンは、森の中で遊ぶのが大好きな、とてもかわいい男の子です。
静かなサセックスにいても、PTSDはちょっとした瞬間に襲ってくるのですが、息子のクリストファー・ロビンと一緒に、森の中を歩いたり、食事をしたりしているうちに、心は癒やされ、少しずつ息子との距離も縮まっていきました。
「自分のためにお話を書いて欲しい」、とクリストファー・ロビンは父A.A.ミルンに頼みます。
そして、A.A.ミルンは、自分の息子と、息子の持つぬいぐるみの人形をモデルに「くまのプーさん」を執筆する事になったのです。
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「くまのプーさん」人気の為にクリストファー・ロビンを襲った悲劇とは?
A.A.ミルンは、自分のプーさんのお話がこんなに売れる事になるなんて、最初は全く予想していなかったのです。
お話の中に出てくる男の子のモデルは、彼の息子そのものだったので、彼はうっかり、息子の名前を本の主人公の男の子の名前に使ってしまったのです。
でも、それが大きな後々大きな悲劇を巻き起こす事になるとは、その時は想像もしていませんでした。
「くまのプーさん」の本は、またたく間に世界中で大ベストセラーになりました。
まだ小さな子どもだった息子のクリストファー・ロビンは、本に登場する男の子のモデルであり、名前も同じだったので、突然世界中で注目される人気者になってしまいました。
今までは、静かに森の中で遊んでいたクリストファー・ロビンの元に、新聞社が突然やってきて取材を申し込んだり、全世界の人から山のようなファンレターが届いたりと、生活は一転します。
クリストファー・ロビンはいつも注目される事に疲れてしまうのです。
実の母がなくなった後、乳母のオリーブはまたクリストファー・ロビンの元に戻ってきて、彼の面倒を見てくれていたのですが、結婚が決まったため、クリストファーロビンの元を離れる事になってしまいました。
大切な人を失い、ひとりぼっちになってしまったクリストファー・ロビン。
その後、クリストファー・ロビンはイギリス名門の全寮制の寄宿学校(ボーディングスクール)へ入学しましたが、イギリスはもちろん、世界中の人気者だった事から、クラスメートに嫉妬され、ひどくいじめられ悲惨な日々を送る事になってしまうのです。
クリストファー・ロビンの苦しみを知った父A.A.ミルンは、二度と「くまのプーさん」シリーズの続編を書かない事を決意したのでした。
クリストファー・ロビンが大人になってから
全寮制の寄宿学校に入学して月日が流れ、クリストファー・ロビンも18歳の青年になりましたが、ちょうどその頃第二次世界大戦が始まっていました。
クリストファー・ロビンは、健康上の理由で、戦争に行く必要はなかったにもかかわらず、自分で戦争へ行く決心をします。
父が第一次世界大戦に出征したように、今度は彼自身が第二次世界大戦へ出征することになりました。
幸いな事に、クリストファー・ロビンは戦争からイギリスへ帰還する事ができました。
その後、彼は結婚し、小さな本屋さんを開き、また自分の自伝も書き上げました。
結局クリストファー・ロビンは、父親が「くまのプーさん」によって得た印税を一文たりとも使う事ないまま、人生を終える事になったそうです。
映画はここで終わるのですが、実はその後の人生でも、クリストファー・ロビンには試練が訪れるのでした。その詳細については次のページをどうぞ。
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